憲問第十四_01

憲問恥
子曰
邦有道穀
邦無道穀
恥也

けんはじをとう
しいわく
くにみちあればこくす
くにみちなくしてこくするは
はじなり

原憲が恥について尋ねた
孔子が言った
国に秩序ある時は仕えて俸禄を受け取ってよい
国が乱れている時は仕えて俸禄を受け取るのは
恥だ

憲問第十四_02

克伐怨欲不行焉
可以爲仁矣
子曰
可以爲難矣
仁則吾不知也

こくばつえんよくおこなわれざる
もってじんとなすべきか
しいわく
もってかたしとなすべし
じんはすなわちわれしらざるなり

競争心、慢心、怨み、欲望を自制できたら
仁者と呼べるでしょうか?
孔子が言った
とても難しいことだ
それでも仁者と呼べるかは解らない

憲問第十四_03

子曰
士而懐居
不足以爲士矣

しいわく
しにしてきょをおもうは
もってしとなすにたらず

孔子が言った
快適に暮らす事を望む輩は
士人とは言えない

憲問第十四_04

子曰
邦有道
危言危行
邦無道
危行言孫

しいわく
くににみちあるときは
げんをたかくしおこないをたかくす
くににみちなきときは
おこないをたかくしげんはしたがう

孔子が言った
国に秩序がある時は
言葉と行動を積極的にした方がよい
国が乱れている時は
行動を積極的にして言葉は控えめにした方がよい

憲問第十四_05

子曰
有徳者必有言
有言者不必有徳
仁者必有勇
勇者不必有仁

しいわく
とくあるものはかならずげんあり
げんあるものはかならずしもとくあらず
じんしゃはかならずゆうあり
ゆうしゃはかならずしもじんあらず

孔子が言った
徳のある者は善い言葉を話すが
善い言葉を話す者すべてが徳が高い訳ではない
仁者には勇気があるが
勇気のある者すべてが仁者という訳ではない

憲問第十四_06

南宮适
問於孔子曰
羿善射
奡盪舟
倶不得其死然
禹稷躬稼而有天下
夫子不答
南宮适出
子曰
君子哉若人
尚徳哉若人

なんきゅうかつ
こうしにといていわく
げいはしゃをよくし
ごうはふねをうごかす
ともにそのしのしかるをえず
うしょくはみずからかしててんかをたもつと
ふうしこたえず
なんきゅうかついず
しいわく
くんしなるかなかくのごときひと
とくをたっとぶかなかくのごときひと

南宮括が
孔子に尋ねた
羿は弓の名人で
奡は怪力でしたが
二人とも普通の死に方はできなかった
禹と稷は田畑を耕し天下に業績を残した
孔子は何も答えられなかった
南宮括が退出した後
孔子が言った
彼は人格者である
徳の本質を知らないうちに見抜いている

憲問第十四_07

子曰
君子而不仁者有矣夫
未有小人而仁者也

しいわく
くんしにしてふじんなるものあらんか
いまだしょうじんにしてじんなるものあらざるなり

孔子が言った
仁者とは異なる人格者もいるかも知れない
仁者であり、つまらない人間はいない

憲問第十四_08

子曰
愛之
能勿勞乎
忠焉
能勿誨乎

しいわく
これをあいしては
よくろうすることなからんや
ちゅうならば
よくおしうることなからんや

孔子が言った
人を愛したら
労らずにいられるか
人に誠実であれば
忠告をせずにいられるか

憲問第十四_09

子曰
爲命
裨諶草創之
世叔討論之
行人子羽脩飾之
東里子産潤色之

しいわく
めいをつくるに
ひじんこれをそうそうし
せいしゅくこれをとうろんし
こうじんしうこれをしゅうしょくし
とうりのしさんこれをじゅんしょくせり

孔子が言った
鄭の外交文書は
裨谌が草案を作成し
世叔が内容を検証し
外交官の子羽が添削を行い
東里の子産が色付けし作成している

憲問第十四_10

或問子産
子曰
惠人也
問子西

彼哉彼哉
問管仲

人也
奪伯氏駢邑三百
飯疏食
没齒無怨言

あるひとしさんをとう
しいわく
けいじんなり
しせいをとう
いわく
かれをやかれをや
かんちゅうをとう
いわく
ひとや
はくしのべんゆうさんびゃくをうばう
そしをくらい
よわいをぼっするまでえんげんなかりき

ある人が子産について尋ねた
孔子が言った
彼は慎み深い人だ
子西について尋ねた
孔子が言った
あの人か
管仲について尋ねた
孔子が言った
彼は
伯氏から駢邑という三百戸の領地を取り上げた
伯氏はそのために貧しい暮らしをした
にも関わらず死ぬまで不平を言う事がなかった

憲問第十四_11

子曰
貧而無怨難
富而無驕易

しいわく
ひんにしてうらむことなきはかたく
とみておごることなきはやすし

孔子が言った
貧乏なのに人を羨まないのは難しいが
金持ちで傲慢にならないのは簡単だ

憲問第十四_12

子曰
孟公綽爲
趙魏老則優
不可以爲滕薛大夫也

しいわく
もうこうしゃくは
ちょうぎのろうとなればすなわちゆうなり
もってとうせつのたいふとなすべからず

孔子が言った
孟公綽は
趙氏や魏氏など大国の家老として優秀だが
膝や薛といった小国の大臣には相応しくない

憲問第十四_13

子路問成人
子曰
若臧武仲之知
公綽之不欲
卞莊子之勇
冉求之藝
文之以禮樂
亦可以爲成人矣

今之成人者
何必然
見利思義
見危授命
久要不忘平生之言
亦可以爲成人矣

しろせいじんをとう
しいわく
ぞうぶちゅうのち
こうしゃくのふよく
べんそうしのゆう
ぜんきゅうのげいのごとき
これをかざるにれいがくをもってせば
またもってせいじんとなすべし
いわく
いまのせいじんなるものは
なんぞかならずしもしからん
りをみてはぎをおもい
あやうきをみてはめいをさずけ
きゅうようにへいぜいのげんをわすれざれば
またもってせいじんとなすべし

子路が完成された人物について尋ねた
孔子が言った
臧武仲の知恵
孟公綽の無欲さ
卞荘子の勇気
冉求の多芸さを持ち
礼法と音楽を学んだなら
完成された人物と言えるだろう
続けて言った
今の完成された人物にそこまで求めるのは難しい
もしも
利益より正義を優先し
危険に身命をなげうつ覚悟があり
昔交わした約束を忘れないならば
完成された人物と言えるだろう

憲問第十四_14

子問公叔文子於
公明賈曰
信乎
夫子
不言不笑不取乎
公明賈對曰
以告者過也
夫子時然後言
人不厭其言
樂然後笑
人不厭其笑
義然後取
人不厭其取
子曰
其然
豈其然乎

しこうしゅくぶんしを
こうめいかにといていわく
まことなるか
ふうしは
いわずわらわずとらずとは
こうめいかこたえていわく
もってつぐるもののあやまちなり
ふうしはときにしてしかるのちにいう
ひとそのいうことをいとわず
たのしみてしかるのちにわらう
ひとそのわらうことをいとわず
ぎにしてしかるのちにとる
ひとそのとることをいとわず
しいわく
それしかり
あにそれしからんや

孔子が公叔文子ついて
公明賈に尋ねた
本当でしょうか
あの人は
言わず笑わず贈物も受取らないとは
公明賈が答えた
そんな事はありません
あの人は話すべき時以外に話さないので
誰も彼の言葉を嫌がらないのです
楽しい時以外には笑われないので
誰も彼の笑い声を嫌がらないのです
正当な理由なく贈物を受取らないので
誰も彼が賄賂を取っていると言わないのです
孔子が言った
そうでしょう
噂はただの噂ですな

憲問第十四_15

子曰
臧武仲
以防求爲後於魯
雖曰不要君
吾不信也

しいわく
ぞうぶちゅう
ぼうをもってのちをなすをろにもとむ
きみをようせずというといえども
われはしんぜざるなり

孔子が言った
臧武仲は
魯公に防を一族が引続き領有できるように頼んだ
強要していないといわれているが
私はそうは思わない

憲問第十四_16

子曰
晉文公
譎而不正
齊桓公
正而不譎

しいわく
しんのぶんこうは
いつわりてただしからず
せいのかんこうは
ただしくしていつわらず

孔子が言った
晉の文公は
策謀を用いて正道を踏まなかった
斉の桓公は
正道を踏んで策謀を用いなかった

憲問第十四_17

子路曰
桓公殺公子糾
召忽死之
管仲不死

未仁乎
子曰
桓公九合諸侯
不以兵車
管仲之力也
如其仁
如其仁

しろいわく
かんこうこうしきゅうをころす
しょうこつはこれにしし
かんちゅうはしせず
いわく
いまだじんならざるかと
しいわく
かんこうしょこうをきゅうごうし
へいしゃをもってせざるは
かんちゅうのちからなり
そのじんにしかんや
そのじんにしかんや

子路が尋ねた
斉の桓公が政敵の公子糾を殺した時
召忽は共に殉死したが
管仲は死ななかった
続けて言った
彼は仁者とは言えませんね
孔子が言った
桓公が諸侯を集めて会盟を開いた時
桓公は武力を用いなかった
これは管仲の功績で
誰がその仁に及ぶ事ができようか
誰がその仁に及ぶ事ができようか

憲問第十四_18

子貢曰
管仲非仁者與
桓公殺公子糾
不能死
又相之
子曰
管仲相桓公
覇諸侯
一匡天下
民到于今受其賜
微管仲
吾其被髪左衽矣
豈若匹夫匹婦之爲諒也
自經於溝瀆而莫之知也

しこういわく
かんちゅうはじんしゃにあらざるか
かんこうこうしきゅうをころすに
しするあたわず
またこれをたすく
しいわく
かんちゅうかんこうをたすけて
しょこうにはたらしめ
てんかをいっきょうす
たみいまにいたるまでそのしをうく
かんちゅうなかりせば
われそれはつをこうむりえりをひだりにせん
あにひっぷひっぷのまことをなすや
みずからこうとくにくびれてこれをしるものなきがごとくならんや

子貢が尋ねた
管仲は仁者ではありませんね
桓公が主君の公子糾を殺したのに
自分は殉死せず
桓公に仕えるのですから
孔子が言った
管仲は桓公を
覇者にして
天下を正した
人々は今でもその恩恵を受けている
もし管仲がいなければ
我々はざんばら髪で服を左前に着る
蛮族の支配下で生活させられていた
溝で心中をはかり気づいてもらえない男女の誠実さと比べてよいか

憲問第十四_19

公叔文子之臣大夫僎
與文子同升諸公
子聞之曰
可以爲文矣

こうしゅくぶんしのしんのたいふせん
ぶんしとおなじくこれをこうにのぼす
しこれをききていわく
もってぶんとなすべし

公叔文子は家臣の僎を
自分と同じ大臣として推挙した
孔子がこれを聞いて言った
まさに文の名に相応しい人だ

憲問第十四_20

子言衛霊公之無道也
康子曰
夫如是
奚而不喪
孔子曰
仲叔圉治賓客
祝鮀治宗廟
王孫賈治軍旅
夫如是
奚其喪

しえいのれいこうのむどうをいう
こうしいわく
それかくのごとくんば
なんぞほろびざる
こうしいわく
ちゅうしゅくぎょはひんかくをおさめ
しゅくだはそうびょうをおさめ
おうそんかはぐんりょをおさむ
それかくのごとくんば
なんぞそれほろびん

孔子が衛の霊公の無道さを批判した
魯の季康子が言った
それだけ無道で
どうして衛は滅びないのですか?
孔子が言った
仲叔圉が他国の使者を接待し
祝鴕が先祖の祭祀を行い
王孫賈が軍を統率しています
だから
衛が滅びないのです

憲問第十四_21

子曰
其言之不怍
則爲之也難

しいわく
それげんのはじざるは
すなわちこれをなすやかたし

孔子が言った
自分の言ったことと違う事を恥と思わないなら
人は何も成し遂げられない

憲問第十四_22

陳成子弑簡公
孔子沐浴而朝
告於哀公曰
陳恆弑其君
請討之
公曰
告夫三子
孔子曰
以吾從大夫之後
不敢不告也
君曰
告夫三子者
之三子告
不可
孔子曰
以吾從大夫之後
不敢不告也

ちんせいしかんこうをしいす
こうしもくよくしてちょうし
あいこうにつげていわく
ちんこうそのきみをしいす
こうこれをうたん
こういわく
かのさんしにつげよ
こうしいわく
われはたいふのしりえにしたがうをもって
あえてつげずんばあらざるなり
きみはいわく
かのさんししゃにつげよと
さんしにゆきてつぐ
きかれず
こうしいわく
われはたいふのしりえにしたがうをもって
あえてつげずんばあらざるなりと

陳成子が斉の簡公を殺害した
孔子は沐浴の後に宮殿に上がり
魯の哀公に言った
陳恒が主君を殺害した
どうかこの無道者をお討ち取り下さい
哀公が言った
御三家の当主たちに聞け
孔子は言った
哀公の前から退出した後に
申し上げずにはいられなかった
哀公がおっしゃるとは
御三家の当主に聞けと
御三家に聞いたが
討伐はできないと言われた
孔子は言った
哀公の前から退出した後に
申し上げずにはいられなかった

憲問第十四_23

子路問事君
子曰
勿欺也
而犯之

しろきみにつかえんことをとう
しいわく
あざむくことなかれ
しこうしてこれをおかせ

子路が主君に仕える事を尋ねた
孔子が言った
嘘をついてはいけない
しかし主君の誤りは躊躇せずにいさめよ

憲問第十四_24

子曰
君子上達
小人下達

しいわく
くんしはじょうたつし
しょうじんはかたつす

孔子が言った
人格者は高尚な事柄に精通する
つまらない人間は下賎な事柄に精通する

憲問第十四_25

子曰
古之學者
爲己
今之學者
爲人

しいわく
いにしえのがくしゃは
おのれのためにす
いまのがくしゃは
ひとのためにす

孔子が言った
昔の人々は学んだ
自分を向上させるために
今の人々は学ぶ
地位と名誉のために

憲問第十四_26

蘧伯玉
使人於孔子
孔子
與之坐而問焉

夫子何爲
對曰
夫子
欲寡其過而
未能也
使者出
子曰
使乎使乎

きょはくぎょく
ひとをこうしにつかわす
こうし
これにざをあたえてとう
いわく
ふうしはなにをかなす
こたえていわく
ふうしは
そのあやまちをすくなくせんとほっするも
いまだあたわざるなり
ししゃいず
しいわく
つかいなるかなつかいなるかな

遽伯玉が
孔子に使者をよこした
孔子が
使者を座らせて尋ねた
孔子が言った
主人はいかがですか?
使者が言った
あの方は
過ちを少なくしたいと思っているが
達成できていない
使者が帰った後
孔子が言った
立派な使者だ、立派な使者だ

憲問第十四_27

子曰
不在其位
不謀其政

しいわく
そのくらいにあらざれば
そのまつりごとをはからず

孔子が言った
その位についていないのであれば
他人の仕事に余計な口出しはしない事だ

憲問第十四_28

曾子曰
君子思不出其位

そうしいわく
くんしはおもうことそのくらいよりいでず

曾子が言った
人格者は自分の職分を越える事については考えない

憲問第十四_29

子曰
君子恥其言而過其行

しいわく
くんしはそのげんのそのおこないにすぐるをはず

孔子が言った
人格者はその言動がその行動を上回る事を恥じる

憲問第十四_30

子曰
君子道者三
我無能焉
仁者不憂
知者不惑
勇者不懼
子貢曰
夫子自道也

しいわく
くんしのみちなるものさんあり
われよくするなし
じんしゃはうれえず
ちしゃはまどわず
ゆうしゃはおそれず
しこういわく
ふうしみずからいうなり

孔子が言った
人格者の条件が三つある
私にはとてもできない事だ
仁者は悩まない
知者は迷わない
勇者は恐れない
子貢が言った
先生は謙遜されている、まさに先生の事ではないか

憲問第十四_31

子貢方人
子曰
賜也賢乎哉
夫我則不暇

しこうひとをたくらぶ
しいわく
しやけんなるかな
それわれはすなわちいとまあらず

子貢が他人の悪口を言った
孔子が言った
お前はどれほど賢いつもりか?
私はお前みたいな暇は持ち合わせていない

憲問第十四_32

子曰
不患人之不己知
患其不能也

しいわく
ひとのおのれをしらざるをうれえず
そのふのうをうれうるなり

孔子が言った
他人が評価してくれない事を気に病むより
自分に能力が無い事を気にしなさい

憲問第十四_33

子曰
不逆詐
不億不信
抑亦先覺者
是賢乎

しいわく
いつわりをむかえず
まことならざるをはからず
そもそもまたまずさとるものは
これけんなるか

孔子が言った
人を疑って身構えたりせず
人から信じてもらえない事に不安を覚えず
様々な事を察する事ができる人物は
賢者といえる

憲問第十四_34

微生畝謂孔子曰
丘何爲
是栖栖者與
無乃爲佞乎
孔子曰
非敢爲佞也
疾固也

びせいほこうしをいいていわく
きゅうなんぞ
このせいせいたるものをなすか
すなわちねいをなすなからんやと
こうしいわく
あえてねいをなすにあらざるなり
こをにくむなり

微生畝が孔子に言った
あなたは何故
忙しそうにしてるのですか?
世間に媚びようとはしていないか?
孔子が言った
世間に媚びたていません
頑固で独りよがりになるのが嫌なのです

憲問第十四_35

子曰
驥不称其力
称其徳也

しいわく
きはそのちからをしょうせず
そのとくをしょうするなり

孔子が言った
名馬はその力を称賛されるのではなく
その徳質を称賛される

憲問第十四_36

或曰
以徳報怨
何如
子曰
何以報徳
以直報怨
以徳報徳

あるひといわく
とくをもってうらみにむくゆる
いかん
しいわく
なにをもってとくにむくいん
なおきをもってうらみにむくい
とくをもってとくにむくいん

ある人が尋ねた
受けた怨みに対して徳をもって報いるのは
いかがでしょう?
孔子が言った
受けた徳には何をもって報いますか?
私は怨みに対しては誠実さで報いて
徳に対しては徳で報いる

憲問第十四_37

子曰
莫我知也夫
子貢曰
何爲其莫知子也
子曰
不怨天
不尤人
下學而上達
知我者其天乎

しいわく
われをしるものなきかな
しこういわく
なんすれぞそれしをしるなからんや
しいわく
てんをうらみず
ひとをとがめず
かがくしてじょうたつす
われをしるものはそれてんか

孔子が言った
私の事を理解してくれる者が誰もいない
子貢が言った
先生を理解できない者がおりましょうか
孔子が言った
天に怨みを持たず
人を非難せず
身近な事から高尚な事まで学んできた
天のみが私を理解してくれる

憲問第十四_38

公伯寮
愬子路於季孫
子服景伯以告曰
夫子
固有惑志於公伯寮
吾力猶能肆諸市朝
子曰
道之將行也與
命也
道之將廢也與
命也
公伯寮其如命何

こうはくりょう
しろをきそんにうったう
しふくけいはくもってつげていわく
ふうし
もとよりこうはくりょうにわくしあり
わがちからなおよくこれをしちょうにさらさん
しいわく
みちのまさにおこなわれんとするや
めいなり
みちのまさにすたれんとするや
めいなり
こうはくりょうそれめいをいかんせん

公伯寮が
子路の事を季孫氏に訴えた
子服景伯がこのことを孔子に報告した
季孫の殿は
公伯寮の言葉を鵜呑みにしています
お望みならば私の権限で公伯寮を死刑にできる
孔子が言った
人生が道理に適うのは
天命だ
人生が道理に適わないは
天命だ
公伯寮が天命をどうにかできない

憲問第十四_39

子曰
賢者辟世
其次辟地
其次辟色
其次辟言
子曰
作者
七人矣

しいわく
けんじゃはよをさく
そのつぎはちをさく
そのつぎはいろをさく
そのつぎはげんをさく
しいわく
たつもの
しちにんなり

孔子が言った
賢者は俗世を避ける
次善は乱れた土地を避け
その次善は人の顔色を見て危険を避け
その次善は人の言葉を聞き危険を避ける
孔子が言った
これらを行った人物は
7人いる

憲問第十四_40

子路宿於石門
晨門曰
奚自
子路曰
自孔氏

是知其不可
而爲之者與

しろせきもんにしゅくす
しんもんいわく
いずれよりする
しろいわく
こうしよりす
いわく
これそのふかなるをしりて
しかもこれをなさんとするものか

子路が石門で一夜を過ごしていた
門番が子路に言った
どちらからおいでですか?
子路が言った
私は孔先生の弟子だ
門番が言った
無理と知りながら
理想を追ってる人の弟子ですか

憲問第十四_41

子撃磬於衞
有荷蕢而過孔氏之門者

有心哉撃磬乎
既而曰
鄙哉
硜硜乎
莫己知也
斯已而已矣
深則厲
淺則掲
子曰
果哉
末之難矣

しけいをえいにうつ
きをにないてこうしのもんをすぐるものあり
いわく
こころあるかなけいをうつやと
すでにしていわく
ひなるかな
こうこうこたり
おのれをしるなくんば
これやまんのみ
ふかければすなわちれいし
あさければすなわちけいすと
しいわく
かなるかな
これをかたしとするなし

衛で滞在中に孔子が磬を鳴らしていた
荷物を担いだ人が家の前を通りがかり
言った
音色にあなたの心が表れていますね
そしてしばらく聞いた後で言った
つまらない音色だ
音が固くなりすぎている
己を知る者がなければ
止めればよい
詩でも言うでしょう
深い川では衣を脱いで渡り
浅い川では裾をまくり渡ると
孔子が言った
思い切りの善い考え方ですね
でも私は気楽にやっています

憲問第十四_42

子張曰
書云
高宗諒陰三年不言
何謂也
子曰
何必高宗
古之人皆然
君薨
百官緫己
以聽於冢宰三年

しちょういわく
しょにいう
こうそうりょうあんさんねんものいわずと
なんのいいぞや
しいわく
なんぞかならずしもこうそうのみならん
いにしえのひとはみなしかり
きみこうずれば
ひゃくかんおのれをすべて
もってちょうさいにきくことさんねんなり

子張が尋ねた
書経には
高宗は喪に服して三年間、話さなかったとある
どうしてですか?
孔子が言った
高宗だけではない
昔の人は皆そうしていた
君主が亡くなった時は
すべての家臣は仕事をやり終えて
跡継ぎの君が三年喪に服している間は摂政の命に従った

憲問第十四_43

子曰
上好禮
則民易使也

しいわく
かみれいをこのめば
すなわちたみつかいやすきなり

孔子が言った
上に立つものが礼儀を重んじれば
人々は従順で従わせ易くなる

憲問第十四_44

子路問君子
子曰
脩己以敬

如斯而已乎

脩己以安人

如斯而已乎

脩己以安百姓
脩己以安百姓
堯舜其猶病諸

しろくんしをとう
しいわく
おのれをおさめてもってけいす
いわく
かくのごときのみか
いわく
おのれをおさめてもってひとをやすんず
いわく
かくのごときのみか
いわく
おのれをおさめてもってひゃくせいをやすんず
おのれをおさめてもってひゃくせいをやすんずるは
ぎょうしゅんもそれなおこれをやめり

子路が人格者について尋ねた
孔子が言った
自ら修養して人々を敬う事だ
子路が言った
それだけで良いのですか?
孔子が言った
自ら修養して人々を安らかにする事だ
子路が言った
それだけで良いのですか?
孔子が言った
自ら修養して万人を安らかにする事だ
自ら修養して万人を安らかにする事は
聖帝の尭舜でさえ苦労された程だ

憲問第十四_45

原壌夷俟
子曰
幼而不孫弟
長而無述焉
老而不死
是爲賊
以杖叩其脛

げんじょういしてまつ
しいわく
ようにしてそんていならず
ちょうじてのぶることなく
おいてしせず
これをぞくとなすと
つえをもってそのすねをたたく

原壌が道にうずくまって孔子を待っていた
孔子が言った
子供の頃には反抗的で
大人になっても大した事もせず
無駄に年を取ってまだ死なずにいる
こんな輩は社会に害を為す賊だ
そして、その脛を杖で叩かれた

憲問第十四_46

闕黨童子將命
或問之曰
益者與
子曰
吾見其居於位也
見其與先生並行也
非求益者也
欲速成者也

けっとうのどうじめいをおこなう
あるひとこれをといていわく
えきするものか
しいわく
われそのくらいにおるをみる
そのせんせいとならびゆくをみる
えきをもとむるものにあらざるなり
すみやかにならんとほっするものなり

闕の村の少年が孔子の来客の取次ぎをしていた
ある人が孔子に言った
あの少年には見込みがありますか?
孔子が言った
私はあの子が大人と座っているのを見た
先輩と並んで歩いているのも見た
彼は自分を向上させたいのではなく
早く大人の仲間入りをしたいだけです



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